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大阪高等裁判所 昭和48年(く)16号 決定 1973年5月09日

少年 I・K(昭二八・八・二生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年作成の抗告申立書記載のとおりであるが、要するに原決定表示の非行事実中1の銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実については、原決定記載の刺身庖丁は少年が当時すし屋の店員として業務に使用していたのを正当な理由があつて携帯していたものであり、7の覚せい剤取締法違反の事実については、原決定記載の自宅において兄の友人からよいものをしてやるといわれてそれが何であるかも知らずに注射して貰つたものであり、8の暴力行為等処罰に関する法律違反の事実については友人の○坪○と共に国鉄電車に乗車中同人が学生風の○田○義と車内で喧嘩をやりかけたが、相手の様子から空手を習得している者のように見え負けると思つたのでその喧嘩を止めに入つたところ、その相手が自分にかかつて来て殴つたので、○と一緒に殴り返しただけであるといつて、それぞれ事実誤認を主張するのである。

よつて所論にかんがみ、少年の少年保護事件記録および少年調査記録を調査して検討するのに、原決定認定の所論指摘の各事実についてはいずれも次に述べるように所論のような事実誤認の点を見出すことはできない。すなわち、

(一)  原決定認定の非行事実1の刺身庖丁一丁の不法携帯の事実については、司法巡査山崎秀治作成の現行犯人逮捕手続書および差押調書、少年の司法警察員に対する昭和四七年四月二〇日付供述調書、司法警察員高橋昇作成の捜査復命書によれば、少年は原決定表示の日時場所において友人三名と共にビニール袋にプラボンドと称する接着剤を入れて吸いこむいわゆるボンド遊びをしていて警察官から職務質問を受けた際隠し持つていた本件の刺身庖丁を発見され、その不法携帯の現行犯人として逮捕され、右庖丁を差押えられたこと、少年は本件当時約一か月前から大阪市北区○○町所在の○○○寿司店(経営者○村○)に住みこみ店員として働き、出前のほか皿洗いや大根等野菜を切つたりする雑用に従事していたものであり、まだ板前として自己の刺身庖丁を持つような地位にはなかつたものの、約一〇日前同店の板前○野○貫が使いふるした本件の刺身庖丁を同人から譲り受けてこれを同店で野菜を切るのに使用していたところ、本件当日店が休みで外出するに際し、右庖丁を同店から持ち出し前記の如く逮捕された際これを携帯していたことが認められる。したがつて、本件の刺身庖丁は少年が業務に使用していたものではあるが、これを少年が前記寿司店の外部に持ち出し携帯する理由については前記認定の少年の業務の内容に照らしもともと正当な根拠に乏しいものとみられるのであるが、少年は右庖丁には刃こぼれがあつてよく切れないため、店が休みの本件の日これを自宅に持ち帰つてとぐつもりであつたから、本件の携帯は業務上正当な理由があると主張するので検討すると、この点に関し、少年は捜査段階以来本件庖丁を自宅に持ち帰つてとぐつもりで前記寿司店から持ち出したと一貫して供述しているものの、その後深夜逮捕されるまでの行動については、はじめ警察官に対し、当日昼ごろ同市東住吉区の自宅に持ち帰つたが寝てしまい、右庖丁をとぐことなく夕方これを店に持つて帰る途中に友人宅を訪ね、友人三名と飲酒したり、ボンドを吸つたりして店へ帰るのも忘れて遊んでいたと供述し、審判廷(第一回審判調書)では自宅に帰る途中友人に出会つて喫茶店に入つたり、友人宅にいつたりして過し、午後八時ごろ友人宅を出てからボンドを吸つたが自宅に帰らなかつたと供述し、少年がその自宅に本件庖丁を持ち帰つたかどうかは不明であるが、いずれにしても、自宅で本件庖丁をといだ事実はないことは明らかであり、またこれをとぐにしても、わざわざ自宅に持ち帰るまでの必要性について首肯できるような供述をしていないことや、右のような少年の当日の行動に関する供述内容から考えると、本件庖丁を同店から持ち出すについて業務その他正当な理由があつたものとは到底認め難く、ことに当日午後八時ごろから午後一一時四〇分ごろ逮捕されるまで、友人と共に飲酒したりボンドを吸つたりして遊び歩く間に危険物である本件刺身庖丁を持ち歩くについて正当な理由はなかつたものと認められるから、原決定の認定は正当でありこの点に関する所論は理由がない。

(二)  原決定認定の非行事実7の覚せい剤使用の事実については、少年の司法警察員に対する昭和四七年七月二四日付(但し、丁数九の分)、司法警察員松久保国雄作成の覚せい剤使用容疑者の発見報告書および領置調書、大阪府警察科学研究所長作成の尿中麻薬、覚せい剤鑑定結果の回答についてと題する書面によれば、原決定認定の右非行事実は使用物件の認識の点を含めて優に肯認することができ、所論の少年が兄の友人からただよいものを注射してやるとだけ聞いて注射して貰つたというのは本件以前の昭和四七年三月中ごろの午前零時ごろであり、兄の友人というのは○勝○のことであつて、少年はその際同人から右注射に使用した白い粉末は通称ポンという高価なものであると聞き、自ら右注射の効果として覚せい作用があることを知つたが、その夜同人が少年の自宅に宿泊した際同人の所持していた覚せい剤粉末の一部を無断で取り出し自宅物置小屋に隠匿しておき、これを本件の同年六月一六日右自宅で水に溶いて自ら自己の身体に注射したことが認められ、このことは、少年が原審判廷においても供述しているのであつて、右認定に反し、所論のように覚せい剤の使用は兄の友人にそれが何であるかも知らずに注射して貰つた一回限りであつて警察官に供述したのは虚偽の自白であるなどという疑いをさしはさむに足る資料は存しないから、この点の論旨も理由がない。

(三)  原決定認定の非行事実8の共同暴行の事実については、少年の司法警察員に対する昭和四八年一月三一日付供述調書二通、○坪○の司法巡査に対する供述調書、○田○義の司法警察員に対する供述調書によれば、優に肯認することができる。少年は○が原決定記載のように○田○義にいいがかりをつけ謝れといつた際同人が座席から立ち上つて空手の構えをして立ち向かうのを見たので、一たんは○に止めとけといつて制止したようであるが、その後所携の果物ナイフを示し、○田がひるんだ隙に○と共にこもごも右○田の顔面を手拳で殴打したり、蹴り上げたりして共同して暴行を加えたものであつて、所論がいうように同人が少年を殴つたことを窺わせる資科は全くないから、原決定の事実認定には所論のような誤りはなく、この点の論旨も理由がない。(なお前記少年保護事件記録および少年調査記録を調査し、これらに現われた本件各非行(前記各非行のほか窃盗五件)の動機、態様共犯者間における少年の地位、役割、少年の非行歴、前に保護観察処分に付されながら、本件のうち、原決定記載の1ないし7の非行に及び、これに関する審判で試験親察に付され、農家に補導委託をされたのに、補導委託先を逃走し、原決定記載8の非行をさらに重ねるに至つた経緯や少年の資質鑑別の結果、保護環境等に徴すると、少年を中等少年院に送致した原決定の処分に著しい不当の点はないものと認められる。)

以上の次第で本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項によりこれを棄却することとし、少年審判規則五〇条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 細江秀雄 裁判官 八木直道 岡次郎)

昭四八・二・二八付け少年作成の抗告申立者

抗告の理由

一、覚醒剤取締法違反について

私が家でねているときに私の兄の友達が家に来て私によいものをさしたるといつたので、私はなにがとおもい「チュシャ」をうつてもらつた。私はこのために刑事さんにつかまり、何回うつたかときかれました。私は一度しかうつていないのに刑事さんがそんなことでは、とおらないといつて私に言わないでば家にかえさないといつたので、私は家にかえりたいため一度しかやつていないのを三度したといいました。

二、暴力行為等処罰に関する法律違反について

私は友達の「○」と電車にのり「○」がさきに前に行き私は、あとになり「○」のところえ行くと「○」が前で学生見たいな人と「ケンカ」をやりかけていたので私は学生いを見て「カラテ」をならつているとおもい、私はまけるとおもつたので、私はとめにはいりましたが。学生が私にかかつてきてなぐつたので、私も「○」といつしよになぐり返した。

三、銃砲刀剣類所持等取締法違反について

私は包丁を仕事のためにもつていたのです。私は「すし」やにいつていました翌日仕事が休みなので、包丁のとぐれんしゆうをやつていたので仕事が休みなので、よいきかいなので家にかえれば「トグ」ものがあるので、家にかえつてとごうとおもい家にかえると中で友達とあつて、シンナーあそびをやつてしまい家にかえることもわすれてもつていた包丁を友達の家においていた。それから家にかえる前に、シンナーをすつて包丁ももつていました。この包丁はタオルでくくつていました、刑事さんにつかまり包丁も見つかりました。刑事さんが私のいつている「すし」屋にデンワをしてもらつて包丁をとぐためにもつていたことを見とめてもらいました。

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